Twitterで出会った、素敵な言葉たち。
ずっと放置してたTwitterをちょっと前からまた動かしています。
懐かしい人たちとご連絡も取れたりして楽しかったりして。
Facebookも何だか更新がしんどくなってきたので(笑
気軽につぶやいて逃げる、みたいな気軽さが今はとても楽です。
最近また色んな方をフォローしたのもあって、色んなtweetが流れてきます。
ここ最近でとても心に残ったのが以下の2つです。
その内の1つがこちら。
たとえば自分が入院したことを知って、ある友はすぐ駆けつけ、ある友は数日経って見舞いに訪れ、ある友はメールでまず見舞い、病状が落ち着いた頃、顔を見せる。友情の暑い薄いではない。人それぞれに友情の表しようが違うだけに過ぎない。それを誤解すると、いい友を失うことがある。
— 志茂田景樹 (@kagekineko) 2013, 11月 18
志茂田先生のこのtweetは、実際入院してみてすごく感じたことでした。
驚いて駆けつけてくれた友達、しばらく経って落ち着いた頃に来てくれた友達
負担にならないようにメールで励ましてくれた友達、
友情の表し方というのも確かにそうだけれど、「見舞いに来てくれない」ということで
怒ったり友情を疑うことが少し寂しく思う。
確かに入院中は孤独だし、隔離されているようで不自由さも感じるから
何で誰も来ないんだ!って思ってしまう気持ちも分かるけど、
でもそれもまた、こちら側の時間の流れ方が違うからそう感じてしまうだけで。
普通に生活している人達は基本的に皆さん忙しいもの。
わざわざ来てくれた友人に特別感謝することはもちろんだけれど、
来ないからと言って責めるようなものでは全くない。
あまりあってほしくないことだけれど、もし今後大切な友人が入院することになったら
私の様子を観て、逢いに来てくれた優しい友人たちのように、
負担にならない程度に、顔を見に行きたいと思う。
自分にできることを無理なくやることが、相手にとっても負担にならないように。
そしてもう1つがこちら。
「世界中の 2割の人はあなたがどんな行動をとってもあなたの事を嫌いになる。6割の人は行動によって好き嫌いが分かれる。でも残りの2割の人はあなたがどんなヘマを してもあなたの事を好いてくれる。世界はそういう比率でできてるらしい。」その事を母に聞いて私は結構心が楽になった。
— minco (@minco129) 2010, 9月 16
どちらももう随分前のつぶやきですけれども、
このタイミングで読んで、感じることに意味があるように思えてなりません。
このtweetを見て、ある人を想いだしたのですが(笑
私が何をしたって気に入らない人はいるなあ・・とw
前はそれでも仲良くしたいと、自分を押し殺していたように思うのですが
今はそんなことはもう全く意味のないこと、と気づきました。
誰にも好かれるなんてのは本当に無駄なこと。
大切な人がちゃんと分かってくれていればそれだけでいいのだと思います。
tweetにあるように、私を好いてくれる2割の人が、その他の8割の人よりも
人生においては大きな意味を持つし、沢山のことを与えてくれるからです。
私も心から愛する大切な人たちを、ブレることなく信じて愛していきたいと思うのです。